2024/08/18

自分の表現

音楽とまた共に歩み始めて、学生時代から全盛期までにやった曲を思い出すことが増えました。懐かしいなぁ…と。
曲と共にその時代のこともたくさん思い出しました。

変わり者

学生時代、自分と周りがなんか違うと感じていました。

それは、自分を表現するということ。

同級生も先輩たちもほぼ全員が、周囲から言葉で説明されてそのとおり弾くだけだった。
自分で気づくわけでも自分で考えたわけでもなく、「ここはこういうシーンだから、ここはこうやって弾く」「ここは落として、音も弱くして」と他人から言われて、その言いなりで弾く。
その弾き方も教えてもらって…。
資格試験も「言われて受ける」姿勢で、常に受け身の操り人形状態。

自分は真逆でした。

なぜ自分で考えないのか、自分の考えで演奏しないのか…とずっと不思議でした。
言いなりになって弾いたものはただの音であって、演奏ではありません。
自分の意思で音を奏でてこそ、「演奏」と言える。
むしろ「こうしろ」と言われ、それが自分の考えと違ったら「それはあなたの考えでしょ?」と無言の反論をしていました。

あなたがそう思うのならば、あなたはそう弾けばいい。
自分はそう思わないから、自分の考えで表現する。

学生時代の個人レッスンの講師には「あなたは何も言わずに任せたほうが一番良いから、すごくラクなのよ」と言われましたが、シンプルでわかりやすい表現でした。
「言っても言うこと聞かないでしょ」という裏側が見えたので「言われても絶対その通りにしないしね」とこちらから言いました。(普通にタメ口で話していました)
右にならえが嫌いな自分をよく理解してくれた先生で、傍から見たら操縦できない異端児かもしれませんが任せてくれていたおかげでのびのびと過ごせました。

それから10年以上経って、親友に「どうせ言っても聞かないだろ」と実際に言われた自分。
本質はそう簡単には変わりませんね。

言葉にしたらつまらない

音楽、特に音楽の表現は言葉で表現できないものです。
言葉で解説した瞬間に、その音楽はつまらなくなります。
言葉で表現したら、意味が限定されてしまうからです。

特に言いなりになって弾くタイプの人は、それがすべてだと勘違いします。
たとえば「ここは思いっきり楽しいシーンだから、楽しんで弾く」と言われたら、単に楽しそうに弾いてるつもり(実際には楽しさの欠片もない弾かされてる感満載)で終わってしまうのです。
「なぜ楽しそうに弾いたの?」と質問されたら、「そう弾けと言われたから」としか答えられないでしょう。
自分の意思で楽しく弾いたわけでもないし、なぜ楽しいシーンなのか理由も考えないからです。
そもそも自由から楽しさは生まれるのですから、言いなりから楽しさなんて生まれません。

この世に数多ある言葉で表現できないからこそ、音楽の表現は無限です。
具体的なものではなく、抽象的なもの。
だからこそ聞き手の数だけ意味が変わる、音楽の可能性の大きさを表しています。

これからも自分の表現を追求します。